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2011年9月 3日 (土)

「夏目漱石と物理学」から:首縊りの力学

201196日の工学院大学オープンカレッジ「夏目漱石と物理学」で話す話題から、一部を紹介しましょう。

 

この回では、「吾輩は猫である」に出てくる、首縊りの力学について、苦沙彌先生と迷亭に遮られた寒月君が、演説でしゃべりたかったことを、示します。

 

漱石の文章の中に数学が出てくるので、ここでは、その説明もかねてかなり数学的になると思います。

 

以下はちょっと長くなりますが、まずは、「吾輩は猫である」の中の一節

 

=======「吾輩は猫である」(青空文庫から)=======

「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」と主人は少々迷亭の専断《せんだん》を憤《いきどお》ったもののごとくに云う。「ところがその問題がマグネ付けられたノッズルについてなどと云う乾燥無味なものじゃないんだ。首縊りの力学と云う脱俗超凡《だつぞくちょうぼん》な演題なのだから傾聴する価値があるさ」「君は首を縊《くく》り損《そ》くなった男だから傾聴するが好いが僕なんざあ……」

 

中略

 

寒月君は内隠《うちがく》しから草稿を取り出して徐《おもむ》ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願います」と前置をして、いよいよ演舌の御浚《おさら》いを始める。

「罪人を絞罪《こうざい》の刑に処すると云う事は重《おも》にアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして、それより古代に溯《さかのぼ》って考えますと首縊《くびくく》りは重に自殺の方法として行われた者であります。猶太人中《ユダヤじんちゅう》に在《あ》っては罪人を石を抛《な》げつけて殺す習慣であったそうでございます。旧約全書を研究して見ますといわゆるハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣または肉食鳥の餌食《えじき》とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人《ユダヤじん》はエジプトを去る以前から夜中《やちゅう》死骸を曝《さら》されることを痛く忌《い》み嫌ったように思われます。エジプト人は罪人の首を斬って胴だけを十字架に釘付《くぎづ》けにして夜中曝し物にしたそうで御座います。波斯人《ペルシャじん》は……」「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「これから本論に這入《はい》るところですから、少々|御辛防《ごしんぼう》を願います。……さて波斯人はどうかと申しますとこれもやはり処刑には磔《はりつけ》を用いたようでございます。但し生きているうちに張付《はりつ》けに致したものか、死んでから釘を打ったものかその辺《へん》はちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈そうに欠伸《あくび》をする。

 

中略

 

「真に処刑として絞殺を用いましたのは、私の調べました結果によりますると、オディセーの二十二巻目に出ております。即《すなわ》ち彼《か》のテレマカスがペネロピーの十二人の侍女を絞殺するという条《くだ》りでございます。希臘語《ギリシャご》で本文を朗読しても宜《よろ》しゅうございますが、ちと衒《てら》うような気味にもなりますからやめに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語|云々《うんぬん》はよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云わんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言わん方が奥床《おくゆか》しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人《りょうにん》は毫《ごう》も希臘語が読めないのである。「それではこの両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。

 この絞殺を今から想像して見ますと、これを執行するに二つの方法があります。第一は、彼《か》のテレマカスがユーミアス及びフリーシャスの援《たすけ》を藉《か》りて縄の一端を柱へ括《くく》りつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けてこの穴へ女の頭を一つずつ入れておいて、片方の端《はじ》をぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツのように女がぶら下ったと見れば好いんだろう」「その通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へ括《くく》り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そしてその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になったのを付けて女の頸《くび》を入れておいて、いざと云う時に女の足台を取りはずすと云う趣向なのです」「たとえて云うと縄暖簾《なわのれん》の先へ提灯玉《ちょうちんだま》を釣したような景色《けしき》と思えば間違はあるまい」「提灯玉と云う玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればその辺《へん》のところかと思います。――それでこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云う事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云うと「うん面白い」と主人も一致する。

 

Photo_4

上の図で寒月君は左の方法は力学的に成立し得ないといっています。

 

「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首を繋《つな》いでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでαα……αを縄が地平線と形づくる角度とし、T2……Tを縄の各部が受ける力と見做《みな》し、T=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wは勿論《もちろん》女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」

 迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合は両人《りょうにん》が勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。

 

Photo_6

「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、下《しも》のごとく十二の方程式が立ちます。T1 cosα1=T2 cosα2…… (1) T2 cosα2=T3 cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけは逐《お》って伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮の体《てい》に見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。

 

Photo_7

寒月君の最後の部分は、上の図のように横方向の力は釣合っているので等しくなっている。

 

ここからが、寒月君が演説で言いたかったことで、垂直方向にかかる力は下の図のように上向きの力T1 sinα1と下向きの力T2 sinα2との差が重力による力Wと釣合っているので

         W = T1 sinα1  T2 sinα2 

になります。


Photo_8

順次同様なので、順番に式を書いてゆき、下のように式を上から順に加えてゆくと隣どおしの項が消えて

Photo_9W = T1 sinα1  T2 sinα2

W = T2 sinα2  T3 sinα3

W = T3 sinα3  T4 sinα4

W = T4 sinα4  T5 sinα5

W = T5 sinα5  T6 sinα6

W = T6 sinα6  T7 sinα7

W = T7 sinα7  T8 sinα8

W = T8 sinα8  T9 sinα9

W = T9 sinα9  T10 sinα10

W = T10 sinα10  T11 sinα11

W = T11 sinα11  T12 sinα12

W = T12 sinα12  T13 sinα13

+              

12W = T1 sinα1  T13 sinα13

(上から下に式を加えた結果)

 

 

になります。寒月君が言うように全体が対称なら、T1 = T13 で α1=α13 なので、

 

 12W =2 T1 sinα1

 

になります。女性の体重が40 kgとすると、W40 kg重です。また、α130°とすると

sin 30°= 0.5なので、綱を引っ張っている力 T112Wとなります。W40kg重なので、綱を引っ張る力は480kg重となります。

Photo_10

実際に女性たちを高く吊り上げるには角度は30°より小さくする必要があり、力は更に必要になります。従って、テレマカスがユーミアス及びフリーシャスの援《たすけ》を藉《か》りても、とても引っ張り上げることができないと思われます。寒月君はこのことを言いたかったのではないかと思われるわけです。

 

ところで、ホメーロスのオデュッセイアの「求婚者たちの殺戮」の後半は

世界文學大系1:筑摩書房:高津春繁訳

 

 

いつくしみ深い乳母のエウリュクレイアは言った。「吾子よ、それではすっかり申し上げましょう。お館には、仕事をし、羊毛を梳き、奴隷の境涯に耐えるように、私たちが仕込んだ50人の召使の女がいますが、その中で、恥知らずの道に入り、わたくしをも、ご主人のペーネロペイア様でさえも馬鹿にしたものが12人おります。」

 

中略

 

オデュッセウスはテーレマコスと牛飼いと豚飼いを呼び寄せて、翼ある言葉をかけた。「さあ、死骸を運びはじめ、女たちにもそう言うのだ。  

 

----中略----

 

女共を堅固な広間から円家と内庭の見事な壁の間に連れて行き、皆殺しにして、密通して求婚者共とたのしんだ愛の楽しみを忘れるまで、長い刀をふるうのだ」    

 

       ----中略----

 

テーレマコスは思慮深く口を開いた。「おれの顔と母上とに泥を塗り、求婚者共と一緒に寝たこの女たちにはけっしていさぎよい死に方は許さぬぞ」

 こう言って、青黒い舳の船の綱を大柱に結びつけ、円家にまきつけ、足が地面に届かぬように、高くぴんと張った。ちょうど、長い翼のつぐみや鳩が巣に帰ろうと急いでいる時に、繁みにかけた網にかかって恐ろしい臥床を得た時のように、そのように女たちは一列に並んで首を差し出し、情けない死に方をするように、みんなの頸には輪縄がかけられた。しばらくは足をばたばたさせていたが、長いことではなかった。

ということで、実際にどちらの方法を使ったかは分からないのです。

力学的に可能なのは、寒月君の2番目の方法です。

 

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コメント

ご説明どうもありがとうございます、体変勉強になりました。私はアメリカの大学院生で専門は日本古典文学です。学部生のときに数学を副専攻にしましたので初めて『吾輩は猫である』を読んだときにこの首縊り問題にやはり興味がわきました。教科書に出てきそうな、紋切り型の力学の問題よりも多少複雑ですが先生の解説のおかげでよく理解できてありがたいです。ここに先生にお聞きしたいことが一つありますが、寒月さんが言った「多角形に関する平均性理論」とは何であるかを説明していただけますでしょうか。微分学の平均値の定理やら統計学の算術平均や幾何平均やらの「平均」が分かりますが、「多角形に関する平均性の理論」というような理論を習った覚えがなくて、しかもインターネットで調べても何もでないのです。もし先生が説明してくだされば本当に幸いに存じます:)

Brendanさま

コメントありがとうございます。
「多角形に関する平均性理論」は私にも分かりません。
漱石の創作かあるいは、明治時代の力学の教科書に載っていたのか、はっきりしません。
寒月君の出した式はつりあいの式ですが、明治時代には
つり橋の設計などで、複数の物体を紐で吊るしたときの力学が重要だったのかもしれません(今でも重要ですが)。
その場合に、横方向の力が等しくなるのを平均性といったのかもしれません。
あるいは、横方向の力は平均的にかかる(すなわち等しい)という意味かもしれません。
きちんとした解答になっていなくてすみません。

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